きよくらの備忘録

「三日坊主と呼ばせない!日記」改め。主にソフトウェア開発関連の話題。

大都会とIT勉強会と私

本エントリは大都会岡山 Advent Calendar 2015の12日目のエントリです。

 

今年はコレといったネタを思い浮かばないし一昨日までノロで一家全滅とかしててそんな暇なかったのもあって、なにも用意できていません。 ので、年末らしく振り返りをしてみようと思います。

 

で、せっかくなので今年一年とかケチ臭いことを言わずに約8年くらい振り返ってみます。 8年。中途半端ですね。なんで8年かというと、僕が岡山でIT系の勉強会にかかわり始めたのがそのあたりから、なんです。 なので、振り返るのは僕が見てきた岡山のIT系勉強会とかコミュニティについてです。

 

振り返りといってもKPTとかそういう高尚な振り返りではなくて要するにおっさんの昔語りであって、いつにもまして完全にチラ裏誰得エントリです。 またその期間の岡山のIT系コミュニティを俯瞰するものではないし主観であってもすべて覚えてるわけもなく今振り返って頭に浮かんできたことだけです。 なので興味ない方は「今日の岡山ACはハズレだったなとか」 心の中で静かに唱えつつ明日の大都会岡山ACに期待しながらお休みくださいお疲れ様でした。

 

ここまで読んで「こいつ酔ってる?」と思った方、正解です。飲まずにこんなこと書けません。 なので、完全に殴り書きです。リンクとかまともにできてないと思います誤字脱字、事実誤認多々あると思います。 気が付いたところは後々訂正したいと思いますので、何かあればご指摘いただければと思います。

 

2005年~2006年ころ

「さっき8年つったのに何で2005年なんだよ小学校の算数からやり直せよもしくは今2013年かよ」とかいう突っ込みは酔っ払いには届きませんというわけではないのですが、そもそもの転機というかきっかけがあったのはこの年だったので、ちょっとだけここも振り返ります。

 

2005年の秋ころでしたか、私はそれまで勤務していたメーカー系SIerを退職してユーザー企業の情シスに転職をしました。その頃は私はIT系の勉強会というものはなんとなくかすかに存在を知ってるような知らないような感じで、参加するのはせいぜいOracleMicrosoftなどのベンダー系の技術セミナーとか程度。 転機が訪れたのは、2005年のちょうど今頃。大阪で同業をやってる大学時代からの友人の@MIZO に「2月にこんなんあるからいけへん?」と言われたのが翌2月に開催された『Developers Summit 2006』でした。

 

これがデブサミ初参加だったのですが、これは色々と大きな衝撃を受けました。このデブサミで得たこと一つ一つ書き出すと止まらないのでここでは割愛しますが、デブサミに参加していなかったら、おそらく今のような形でIT系のコミュニティにかかわってることはなかったんじゃないかと思います。今から思えば。 そしてここで、今までは「なんかそういうのがあるのは知ってる」程度だったIT系コミュニティというものが、具体的にどんなものなのかを知ることになりました。

 

とはいえ。 東京や大阪などでは勉強会などこの時期既に活発に行われていたようなのですが、あまり情報収集などもしていなかったこともあいまって、岡山の近所でのこういった勉強会のことを知らずに(数自体もあまりなかったはず)。 ここから2008年までは年一のデブサミTechED*1でそういった空気を味わう、というだけの日々でした。

 

2006年まとめ

 

2008年:OITEC立ち上げ

ここでようやく2008年の話になります。

 

ちょっと話がそれますが、Visual Studioをお使いの方。Visual Studioを起動すると何が見えるかご存知でしょうか? 2005以降のVSではスタートアップ画面に*2「お知らせ」としてマイクロソフトからRSS で配信されたblog記事やニュースレター等が並びますよね。今では英語の情報しか並んでませんが、当時は日本語の情報が普通に並んでいました。例えばMSDNニュースレターのヘッドライン的なものとかとかMS主催のセミナー情報とか。

 

たしか2008年1月だったか2月だったか、いつも通り出勤してとりあえずVisual Studio(多分VS2005)を起動して何の気なしに見てると、「岡山」という文字が目に飛び込んできたんですね。 当時*3岡山でMSがパブリックでオープンなセミナーをやることはそうそう無かったので、そんな中に飛びこんできた岡山の文字はすこぶる新鮮でした。

 

そういえばこのMSオフィシャルなチャンネルにコミュニティの勉強会情報なんかも流してたのは、原水さんの仕事…だったのかなぁ……。原水さんとは2年弱前に前に北陸でブリシャブやお寿司食べたきり……じゃないな、そのあと品川のMSの社員食堂でお会いしたきり……またお会いしてお話ししたいです。というのはちょっと置いておきます。

 

閑話休題。 (ちょっと横道が多すぎるのでぼちぼち逸れるのはやめておきます)

 

この2008年3月に開催されたのが、マイクロソフトINETAが開催した『コミュニティ勉強会に参加しよう~第 3 回・岡山編』でした。 その時の感想がこれ。 http://kiyokura.hateblo.jp/entry/20080322/p1

 

ここで、講師をしてくださった中さん、森さん、大野さん。岡山会場の幹事をし、のちにOITECを立ち上げた樋口さん。広島で.NET勉強会ヒーロー島の運営をし個人的にもお世話になっている松浦さん。今も一緒にOITECやお仕事でお世話になってる@ahiru_spにお会いしました。

 

そして夏。樋口さんが宣言通りにOkayama IT Engineers Community, OITECを立ち上げてそこに参加することになりました。 http://kiyokura.hateblo.jp/entry/20080810/p1

第二回となってますが、第一回は3月のヤツをカウントしてるから。そして、いきなりスピーカーデビューをしてました。怖いもの知らずですというか出しゃばりなのもいいところですね。 実は萩野さんや山手さんとお話しした最初の記憶はここだったきがします。……違ったかな?

で、OITEC第三回がこの11月。

あとは岡山の話ではないので詳しくは割愛しますが、この間に大阪のSilverlightを囲む会やわんくま同盟の勉強会などにもちょくちょく参加するようになりました。これは3月の勉強会で中さんや森さんと直接お話ししたことが直接のきっかけでした。大阪ではさおさんやみつばたん、青柳さん、ちゅきさん、かるぼさん、黒龍さん……いろんな人とお会いすることできました。

人生初のコミュニティ勉強会参加、初のコミュニティ運営への参加、初の講師登壇、初の大阪のコミュニティ勉強会に参加等々、2008年はいろんなことが一気に来た年でした。 そういえば嫁と付き合い始めたのも2008年で、これは直接は関係ないもののSilverlightを囲む会に参加したことが一因になっています。SiverlightとC# はじめたら彼女ができて結婚できたよ的な。が、まあこれはどうでもいい話なので割愛。

 

個人的大都会の2008年まとめ

  • INETA - コミュニティ勉強会に参加しよう~第 3 回・岡山編
    • IT勉強会初参加
    • ここでの話をきっかけに大阪の勉強会に参加するようになった
  • OITEC
    • OITEC発足(7月、ただしさかのぼって3月のアレを第2回に)
    • 運営に参加
    • 第2回からスピーカーとして登壇
  • 当時は自分は知らなかった話
    • オープンセミナー岡山の第一回が開催された
    • 忘年会議(座スタジアムに移る前)が開催されていた
    • 瀬戸内Linux User Group(通称瀬戸LUG、stlug)を通して瀬戸内地方では色々活動が行われていた
    • 多分、西日本アジャイルプロセス協議会のセミナーも開催されていたはず

 

 

2009年:オープンラボと忘年会議初参加

この年、オープンセミナー岡山の第二回が 開催されたり、ひらさんたちがオープンラボ岡山を立ち上げたりと、岡山のIT系コミュニティとしては結構重大なことが起こっていたのですが、このころの私はこちらとは距離を置いていたというかそもそも知らない状況でした(なにかの告知でオープンセミナー岡山は知っていたのですが、たしか予定がかぶっていけなかった)。

 

OITECや相変わらず大阪の勉強会に出かけていた記憶があります。

 

12月。 このエントリにあるように、12月にはいろいろありました。 http://kiyokura.hateblo.jp/entry/20091214/p1

 

岡山でのことを思い出すと。

まず、西日本アジャイルプロセス協議会のセミナーに参加しました。そういえば後から知ったのですが、このセミナーには横山さんも参加していた模様。当時はまったく認識がありませんでした()

 

そして。 ここでオープンラボ岡山と、その日に開催された忘年会議それぞれに初参加しました。 ここがまた大きなターニングポイントになりました。

 

その日のオープンラボ岡山の様子はこちら。 http://openlab.okaya.ma/wiki.cgi?page=%CA%D9%B6%AF%B2%F1%2F%C2%E8005%B2%F3 僕は午前のガウディ本読書会には参加せず、午後から参加でした。 増田さんのMapReduceの話は当時先端というかすごく面白かったのを覚えています。

この年の忘年会議は座スタジアムに場所を移しての最初の会だったそうです。くしくもその場に居合わすことができて今から思えば光栄でした。 ひらさん、芝先生、白石先生、大垣さん、増田さん、三輪さん、弓本さん、中本さん、藤原さん……列挙できないほどおおくの皆さんとここで会うことできました。

 

そういえば、ひらさんは最近は農業に転向してIT系のコミュニティにはあまり参加されなくなっているのはご周知のとおりだと思うのですが、実はウチの実家に行くとたまに来てて会えたりします(誰得情報)。つい昨日も用事があって実家の農作業場に行ったらひらさんがいて新鮮な白菜をいただきました()

 

個人的大都会の2009年まとめ

  • OITEC
    • 順当に勉強会を実施していた
  • 西日本アジャイルプロセス協議会 岡山セミナー
    • ワークショップなどに参加
  • 第5回オープンラボ岡山
    • オープンラボ岡山初参加
  • 忘年会議2009参加
    • 初参加
    • この年から座スタジアムに
    • このとしの参加者は30名足らず
  • 当時は自分はかかわっていなかった話とかうろ覚えの話
    • オープンセミナー岡山2009にも未参加(知っていたが予定が合わず)
    • 花田さんが岡山Javaユーザ会を立ち上げたのが確かこの年だったような(うろ覚え)
    • Χ-Lab 発足
      • かいらぼ。
      • のちにオープンラボとか繋がりで中の人とはつながったけど勉強会に参加はできなかった気がする

 

 

2010年:オープンセミナー初参加

この年の2月にはすくすくスクラム瀬戸内が開催されました。 ここでは、前川さんや阿部さん、当時MSにいた長沢さんに出会いました。 ちなみに阿部さんとはこのときはほとんど話をしていなかった気がしますが(がっつり話すようになったのはその後のすくすくや、前川さんがたまに開催していたスクラムナイト岡山(だったかな?)という名前の飲み会だった気がします)、まさか5年後に同じ職場で仕事してるとはお互い思ってなかったはずw

 

それからオープンラボ岡山にもちょくちょく参加するようになり、何度かお話にさせてもらったように思います。ここでも沢山の方たちと出会いました。

 

そしてこの年、オープンセミナー岡山に初参加。 この年のオープンセミナーはまつもとゆきひろさんを講師に迎えたこともあって、190人の大盛況。懇親会も大盛況でカオスを極めた記憶が。

 

実はたしかこの懇親会で軍団長を認識した記憶があります。あ、当時はそういう呼称ではありませんでして、この尊称が生まれるのはもう少し後になります。ただこのときは直接はお話ししてなくて、その機会が訪れたのはこの後のスクラムナイト岡山……だったか岡Webだったか曖昧です。

この年の大都会的な大きなトピックとしては、後藤さんが岡山WEBクリエイターズを立ち上げたのがこの年の4月。私は8月の会から参加。また横山さんがマネージャとなり、中国GTUG(Google Technology User Group)、現Google Developer Group中国が立ち上がりました。こちらの勉強会にも参加。

 

この年も色々ありすぎて細かいことが思い出せなかったりするのですが、改装中のひら家で鍋やってχラボ をやっていたの@akagishoと話ししたのはこの年の年末だった……かなぁ……。で、 @uadachi はバイトでこれなかったんだっけ……?

 

個人的大都会の2010年まとめ

  • OITEC
    • そこそこ順当に勉強会を実施していた気がします
  • オープンラボ岡山
    • 気が付いたら常連になってきた気がする
    • スピーカーも何度かやらせていただいたような気がする
  • すくすくスクラム瀬戸内
    • 発足、第一回に参加
  • 中国GTUG発足
    • そこそこ普通に参加していた記憶
  • オープンセミナー2010@岡山
    • 初参加
  • 岡山WEBクリエイターズ 発足
    • 8月の勉強会から参加
  • 忘年会議2010
    • 普通に参加してた記憶
  • ひらさんがひら家を自力改築
    • 「リアルオープンラボ岡山」という呼称だったこともあった気がする
    • 寒い日の晩にブルーシートとか木材だらけの中で鍋やった記憶
  • WEB-APP-NIGHT-OKAYAMA
    • 通称『きよくら会』
    • すでに黒歴史()
  • 当時は自分はかかわっていなかった話とかうろ覚えの話とか
    • 天領倉敷Scala発足
      • オープンラボつながりで知ってたけど、なかなか予定が合わずにこの年は参加したことなったはず
    • 岡山Ruby, Ruby on Rails勉強会
      • オープンラボあたり繋がりで知ってはいたがたぶん参加してなかった記憶

……こう見るとかなり節操ないですな

 

 

2011年:オープンセミナー岡山・副委員長

この年、オープンセミナー岡山の実行委員長だったひらさんより、副委員長を拝命。この年のオープンセミナーはメインゲスト講師にOracleJavaエバンジェリスト寺田さん、Googleの松尾さん、MSから荒井さんと前年に劣らず豪華な感じで盛況だった記憶があります。 また裏?のテーマとして「岡山のコミュニティ勢ぞろい」的なものがありました。 実はこのあたりはひらさんとそして私の思いもあったり。私自身、2010年と2011年、岡山のいろんなコミュニティをつなげてやろうと、まあ、自分で思っても節操のない感じであっち行ったりこっち行ったりとうろうろしていた記憶があります。

 

この年の秋には大月さんと前川さんによりOkayama.jsが旗揚げされ、第一回目の勉強会を開催。私もLTで登壇させていただきました。ただし、軍団長という呼称が生まれるまではもう少しの時間を要します。

@zephiransasによって生まれ変わった岡山Javaユーザー会 が再始動した年でもあります。この会は僕は確か参加できてなかった気がしますが、翌年にはビデオカメラ担いで撮影に行った気がしなくもなく。

12月には岡山PHP勉強会が立ち上がって、第一回勉強会を開催。

そういえば、今では恒例になっている合同勉強会in大都会岡山の前身(といってもいいよね)、『春の合同勉強会 in 岡山』を開催しました。

 

そしてこの年、みなさんの記憶にもまだ新しい東日本大震災がありました。 じつは震災が起こった日はちょうどオープンセミナー岡山の打ち合わせがあった日。 ひら家*4打ち合わせが終わったあと、何人かで残ってフラカッソでワンセグのニュース映像を見ていたのを思い出します。・

その影響でいろんなイベントが中止になったり延期になったり(MS的にはTech・EDが中止になりそれ以降開催されなくなりました)、自粛ムードが漂ったり。ただそんななか、地方のコミュニティーで活気はなくしたくない、と思ってイベントを企画していたことを覚えています。 震災に対するアクションとしてHack For Japanのようなイベントも立ち上がり、岡山でも開催されていました。

 

個人的大都会の2011年まとめ

  • OITEC
    • まだ順当に勉強会を実施していたのではないでしょうか(たぶん)
  • オープンラボ岡山
    • もはや常連
    • ただしこの年でいったん今までの形式の開催を終了
  • すくすくスクラム瀬戸内
    • Agile Japan 2011 サテライト岡山に参加した
  • 中国GTUG発足
    • そこそこ普通に参加していたと思う
  • オープンセミナー2011@岡山
    • 副委員長として運営に参加
  • 岡山WEBクリエイターズ
    • 多分そこそこ参加
  • CSS Nite in Okayama
    • 岡山初開催のCSS Nite in Okayama
    • スタッフとして参加
  • 岡山PHP勉強会
    • 発足、第一回勉強会に参加
  • 春の合同勉強会 in 岡山
    • 合同勉強会in大都会岡山の前身
  • 忘年会議2011
    • 普通に参加してた記憶
  • Okayama.js
    • 秋に発足
    • 第一回勉強会に参加、LT登壇
  • 当時は自分はかかわっていなかった話とかうろ覚えの話とか
    • 岡山Javaユーザー会が活発に活動開始

……他にもいろいろあった気がするのですが正直色々やりすぎてて思い出しきれないありさま()

 

 

2012年:オープンセミナー岡山・実行委員長

そしてこの年はオープンセミナーの実行委員長を拝命。 この年のゲスト講師は@t_wada@dankogaidankogaiは実行委員からの推薦で、t-wadaは僕がどうしても前年のデブサミでした話を、岡山のエンジニアの前でしてもらいたかったというわがまま。 個人的にはすごく成功だったと胸をなでおろしていたりしてるので、まあなんな思うところがある人もいるかとは思うけど昔のことなのでそっとしておいてください。

 

この年も岡山では色々あって、Webフロント界隈としてはCSS Nite in Okayamaが開催されて相変わらず出しゃばりは私は実行委員に名を連ねていたりしました。

またt_wadaの前でやるよ宣言をした阿部さんにより、TDD BootCamp 岡山開催。

Okayama.jsではようやく軍団長という呼称が正式に生まれたり、パソコン交流会こと岡山git勉強会が立ち上がった年でもあります(この年は私はパソコン交流会には不参加だった記憶)。

そういえば天領倉敷Scalaに私が初参加したのはこの年の6月でした。

PHP勉強会でもなにかしゃべらせていただいた記憶があったりなかったり。

この年も相変わらず色々ばたばたしていた気がします。

 

個人的大都会の2012年まとめ

  • OITEC
    • このあたりから勉強会をどれくらい開催していたか割と謎()
  • オープンラボ岡山
    • 英会話縛りの会をひら家でやったのち、休止
  • 中国GTUG発足
    • そこそこ普通に参加していたと思う
  • オープンセミナー2012@岡山
    • 委員長を拝命
  • 岡山WEBクリエイターズ
    • 多分そこそこ参加したのでは
  • CSS Nite in Okayama
    • 4月と7月に開催した記憶
    • スタッフとして微妙に参加
  • 岡山PHP勉強会
    • スピーカーとして登壇したよ
  • 春の合同勉強会 in 岡山
    • 合同勉強会in大都会岡山の前身
  • 忘年会議2012
    • 普通に参加
  • Okayama.js
    • 偉大なる「軍団長」爆誕
  • TDD BootCamp 岡山1.0
    • スタッフとして参加
  • 岡山Javaユーザー会
    • 勉強会に参加
    • セッションの録画をした記憶
  • 天領倉敷Scala
    • 勉強会に参加
    • ビデオカメラ買ったのがうれしくて機材担いで録画いった記憶
  • 当時は自分はかかわっていなかった話とかうろ覚えの話とか
    • 岡山Ruby会議01開催
    • 岡山git勉強会
      • なんで参加できなかったのかは覚えておらず

 

……絶対もっといろいろあったはずだけどもう疲れて何も思い出せないよパトラッシュ……

 

疲れたのこでここまで

まだ2012年までしか振り返ってませんが、……ここまで書いてもう疲れたのといい加減お酒も抜けて来て色んな意味でしんどくなってきたので、いったんここまでにして続きはまたいつか書くことにします(たぶん)。

 

酔っ払いの与太話なので特にオチやまとめはありません。

が、こうしてみると、本当にいろんな人にお会いしていろんな影響を与えいていただいた、そのおかげで今の自分があることを改めて実感できます。

 

しかし私自身はこれらの活動を通じて皆さんに少しでも何かお返しすることができていたのでしょうか。もしそうだと嬉しいですね。

 

ということでここまで読んでくださった奇特な方、ありがとうございました!!!!

*1:日本マイクロソフトが2010年まで毎年開催して大規模な技術カンファレンス。震災のタイミングで中止されましたが、現在はその流れをくむイベントがde:codeという名前で開催されています

*2:バージョンとかカスタマイズ具合によって変わってきたりはするのですが

*3:というか今も

*4:当時ひらさんが持ち家を改装してセミナーハウス?にしようと画策していた物件

詳細設計書とコーディング用紙と

「詳細設計書F**k」「SIer、Sxxt」的なお話は定期的に(日常的に?)ネットやTwitterのタイムラインを賑わせているように思います。つい先日もそんな感じのblogエントリが少しバズっているのを目にしました。

 

よくdisられる感のある詳細設計書*1。これは作られるのでしょうか。必要だから?ではなぜ必要?

『最近の開発では詳細設計書は必要ない』というニュアンスの発言も耳にします。では昔は必要だったのでしょうか。そもそも何のために生まれたのでしょうか。

 

……話しは変わりますが、今私はちょうど、年度末のアレコレでとても現実逃避したい気分だったりします。ということで、気分転換に、昔のことを思い出しながら与太話を書いてみたいと思います。

 

これから書くお話は、以前 ― 正確な時期は覚えていませんがおそらくは10年前くらい ― 私がSIerに勤務していたころ、今でも尊敬している大先輩のエンジニアの方と交わした会話です。

 

 

*****

 

 

当時私は比較的大規模な開発の末端開発要員としてアサインされ、連日の深夜残業や徹夜の連続をこなしていました。 スケジュールは遅れに遅れ、ウォーターフォールのはずがダムにせき止められ時には逆流する。デスマーチ常態化していたような現場です。

 

そんなある晩。そろそろ日付が変わろうとしているに関わらず、いまだ熱気を帯びたまま多くの人が働いているフロア。

私はその片隅で『ソースコードから詳細設計書を起こす』という何とも矛盾した作業を行っていました*2。あまり詳細には覚えていませんが、Doxgenやいくつかのソースコード解析のツール、自作のマクロなどを使いながら作業をしていた記憶があります。

当然、愚痴の一つや二つも出てくきます。その時も軽い気持ちで、隣で作業していた先輩にこぼしました。

 

僕「こんな作業無駄ですよね……」

先「まあぶっちゃけ無駄だよね」

僕「じゃあなんでこんなの作る必要あるんですかね」

先「ISOだとか社内規定とかで最初にプロジェクトのアウトプットとして定義したから作らないと監査に通らないからだよ」

僕「身も蓋もないですね」

先「事実だからね」

……

 

僕「そもそも論なんですが」

先「ん?」

僕「詳細設計書って何のためにあるんでしょうか」

先「というと?」

僕「概要設計書とかインターフェイス設計書とかは事前にドキュメントで作ってレビューする意味はあると思うんですよ。プロジェクトの規模や進め方によるとは思うんですけど」

先「ふむ」

僕「でも、詳細設計書で書いてる内容って、先にコードに書いてコンパイル通して、そのあとコードレビューやテストしたほうが早いじゃないですか」

先「そうだね。だからこの切羽詰まった今、そうやった後から詳細設計書を起こしてるわけだからね。今まさに。」

 

(再度、念のため。ここ述べている詳細設計書は「ソースコードと一対一になっている、プログラムと日本語で書いたようなもの」のことです)

 

僕「じゃあ、なんでこんな無駄なものが成果物として当たり前に定義されちゃってるんですかね」

先「いや、これだけじゃなくて他にも無駄なモノだらけだけどね(笑)」

僕「笑い事じゃない気もしますけどね。というかそもそも、詳細設計書が『意味がある』ケースってあるんですか?」

先「どうだろう。今の、特にオープン系の開発だとあんまり思い浮かばないなぁ。最近は汎用機系は僕もやってないからそっちの分野は分からないけど」

僕「『今の』ってことは、昔はあったんですか?」

先「そうだねー。そろそろ休憩時間だし、一つ昔話をしてみようか」

 

(当時の職場では深夜にも休憩時間が規定されていました。チャイムが鳴っていたかどうかまでは覚えていませんが。)

 

--------

 

ずいぶん昔の時代。 何年前かって?もう忘れちゃった(笑)。とにかくずっと前の話し。

 

僕らプログラマの机の上にあった仕事道具って、なんだと思う?

ダム端末?
ブー、不正解。

正解はこう。

 

 

デジタルのお仕事してるのに、アナログだよね(笑)。

 

コーディング用紙って知ってる? あ、前のXX部の仕事手伝ったときに、棚のファイルでCOBOLの奴を見たよね。そう、あれあれ*3

当時、『コーディング』っていうのは端末に向かってキーボードをたたく作業のことではなかったと思う。 『コーディング』=『コーディング用紙にペンで書き込む』作業を指していたんじゃないかな。もちろん手書き。

 

書くのも大変だったけど、もっと大変なのは『間違いや変更があった時』だった。 想像できるよね? ちょっとのミスなら消しゴムや修正ペンで直せるけど、ロジックを前に差し挟むとか大きく変更するとか、とにかく修正対象が増えると気が滅入る。 まあ、現場によってはハサミで切り貼りしたりとかもしてた気もするけどね。今でいうカット&ペーストだね(笑)*4

ともかくこんな状況なので、『コードを書きながらの試行錯誤』はとても効率が良いとは言えなかった。

 

では、どうやっていたのか。 もうわかるよね。ここで『詳細設計書』が登場するわけ。

 

詳細設計書を作る段階で、試行錯誤しながらフローチャートを詳細に書いて、レビューして修正して、机上デバッグする。 フォーマット的な正確さを求められるコーディング用紙より、手書きで図や注釈を入れられる詳細設計書の方が、修正の手間も少ないし試行錯誤がやりやすかった。

 

まあとにかく、これが出来ればあとはコーディング用紙に記述するだけ。『日本語 -> プログラミング言語』の単純な脳内コンパイルだけというわけ。

 

もうすこし話をすすめようか。この後このコーディング用紙がそのような道をたどって、実行可能なビット列になるかも話そう。僕が経験した現場では、概ねはこんな感じだったと思う。

 

  • コーディング用紙の内容のレビューと机上デバッグ
  • コーディング用紙をキー入力専門の「パンチャー」さんに渡す
  • パンチャーさんのお仕事の結果「パンチカード」が出来上がる
  • パンチカードを電算室に持って行って読み取ってもらう
  • 読み取った結果をコンパイル
  • コンパイル結果を実行

 

コーディングが終わってから実行して動作確認できるまで、これだけのステップが介在するんだ。今から考えるとのんびりした時代だったよね。ビルド中にコーヒーが飲めるどころの話しじゃあない。

 

これを考えると、今はすごいよね。 下手すると数日~下手すると1週間かかってたような作業が、『ちょっと部分的にコード書いてコンパイルしてデバッガで確認しながら実行』とかすぐにで出来るようになっちゃったんだから。

 

えっと。 昔話しちゃったけど、実は僕も詳細設計書が出来た本当の理由はよく知らない。当時は新人だったしね。 けど、少なくともこの時代・このプロセスでやってた時は、本当に意味があるものだったんだよ。 少なくとも僕はそう思ってたし、今振り返ってもそう思う。

 

 

*****

 

 

その後、その場で私が先輩とどのような話をしたかはあまり覚えていません。 (たぶん、休憩が終わって取り留めのない雑談をしながら、喫煙室を後にしたのだと思います)

 

この話自体は、当時の私の状況などは若干脚色を入れていますが、先輩から聞いたお話自体は、記憶している限りほぼそのまま書いたつもりです。 そしてその先輩が大嘘をついているとは思えないので、少なくとも先輩が当時いた現場では、概ね事実だったんだろう、と私は信じています。

 

 

えっと、なんでしたっけ。 そうそう、詳細設計書の話しでした。

 

先輩が語っていたように私も詳細設計書の存在価値がそこだけにあったのかどうかはわかりません。生まれてきた理由も同じく。でも私にはそれ以外の理由があるようにもいまだ思えません。

 

 

さて、なにをどうまとめて良いのかよく解らなくなってきましたし、そろそろ現実逃避をやめて帰ってこないと色々本気で不味いのでおのあたりで与太話は終わります。

 

一応、生まれて使われてきた理由があるなら、その理由が無くなったなら止めて終わらせる必要もあるよね、というごく当たり障りのないお話でした。

 

それではおやすみなさい。

 

 

……って、寝てはダメだった……作業せな……orz

*1:大前提として、本エントリで『詳細設計書』は、『ソースコードとほぼ一対一で、ソースコードに書くべき内容を日本語やフローチャート等で事細かく記述してたもの』というものを指します。

*2:とはいえ、当時すら常態化していたような記憶あり。

*3:関係ないですが、私が大学に入学した当時(90年代半ば)、大学の図書館にあったC言語プログラミングの教材ビデオ(DVDじゃないよ、VHSだよ!)ではお姉さんがコーディング用紙の一マス一マスに丁寧に「c h a r 」と書きこんでいて、萌えた記憶があります。

*4:別の汎用機系の現場の昔話で聞いた話だった気がしますが、サブルーチンや一定の処理のかかれた部分の用紙を「コピー機でコピー」して別のコードの紙束に差し込むことを、『ソースコードの物理コピーや』って言ってる人がいました。一般的な言い方かがどうかは知りませんので悪しからず。